上早川の歴史と伝説 その75

前号は日光寺に纏わる舞楽面(陵王)を紹介しました。明治の廃仏毀釈で廃寺となった寺院も少なくありませんが、この日光寺は神宮寺(一の宮)、蓮台寺(蓮台寺)、真光寺(真光寺)、水穂寺(水保)、雲大寺(御前山)、千手院(山寺)、泰平寺(能生)などとともに、市内では古刹として知られ、多くの文化財を有しています。そこで、暫くこの日光寺の関係資料を紹介することにします。

平安末期の作とされる日光寺の仏像群
(写真中央:阿弥陀如来坐像 右:十一面観音立像 左:伝勢至菩薩立像)

西頸城郡誌では、奈良県長谷寺(真言宗豊山派)の末寺で阿弥陀不動院日光寺とし、かつては七堂伽藍で付属寺院も十二坊を数えたとしている。しかし、度重なる火災で天明期には、大光、普賢、妙覚、金蔵、光明、龍蔵の六坊になったとされ、現在ではこれらの坊も無く、本堂、庫裡、境外に観音堂が残るに留まります。

しかし、この本堂、庫裡とも昭和30年代の火災で焼失し、本堂は東頸城郡より移築、庫裡は旧糸魚川高校の校舎の一部を転用していることから、往時を偲ばせるのは観音堂と火災から免れた仏像群、不動山城を借景とした本堂裏のお庭に過ぎません。

本堂と庫裡の間に設けられた奉安庫には木造阿弥陀如来坐像(像高…84㎝)と木造十一面観音立像(像高…166㎝、いずれも県指定文化財)と木造伝勢至菩薩立像(像高…162㎝、市指定文化財)が奉られています。これらは本堂の西方約100mに位置する観音堂に奉られていたもので、前者2軀は11世紀代、後者はそれよりやや新しい作とされます。観音堂なので十一面観音立像が本尊でその他が両脇侍となるのでしょうが、狭い観音堂の厨子で阿弥陀如来と十一面観音とが奉られるのには違和感があり、これらの他にも4軀の四天王立像もあります。「阿弥陀山不動院」と称することから、この阿弥陀如来を本尊として天台宗であったが、上杉時代に真言宗に改宗し、大日如来を本尊としたことから、この阿弥陀如来を観音堂に移したのかも知れません。

いずれにしても、これらの仏像は平安末期まで遡れ、この寺院が平安時代から盛隆を誇ったことを物語るには充分です。(木島)