上早川の歴史と伝説 (その三十二)

「早川入江説」の検証 ~遺跡の立地~

糸魚川市内には二八〇箇所の遺跡が確認されていますが、早川谷には十箇所前後しか所在しません。焼山噴火による火砕流や土石流に伴った厳しい環境が人の定住を阻んだものと推測されます。その数少ない遺跡やそこからの出土品は、早川入江説が成り立たない証にもなります。

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上早川の歴史と伝説 (その三十)

「早川入江説」の検証 
   ~西尾野川のホタテの化石~

●「昔々、早川谷は音坂付近まで入江になっていた」といった伝承をご存知でしょうか。この伝承を証する絵図もあることから、学校で教わった方も多いことでしょう。結論から言うと、この伝承は誤りです。しかし、なぜこのような伝承や絵図が流布したのでしょうか。数回にわたって、この「早川入江説」とその背景を探ります。

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上早川の歴史と伝説 (その二十九)

上早川のお宝
  ~火打山山頂の懸仏②~

前回は火打山の山頂より出土した小仏像(懸仏)を紹介しました。山頂から出土したお宝はこれだけではなく、平成十年頃には高谷池ヒュッテの関係者によって写真の鏡面も採集されています。さらに、他にも仏具のような金属製品が数点採取されているようです。

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上早川の歴史と伝説(その二十八)

上早川のお宝
 ~火打山山頂の懸仏①~

早川谷の最深部に焼山とともに聳える標高二四六一ⅿの火打山の山頂は、糸魚川市と妙高市の境界にあります。昔の着火具である「火打ち金」に似ていることからついた山の名で、今では専ら妙高市の笹ヶ峰から登ることから、妙高市の山として知られているようです。しかし、早川・能生谷を潤す河川は火打山を水源としているばかりか、私たちの日常の景観に溶け込んでいる山でもあります。

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