上早川の歴史と伝説 (その二十九)

上早川のお宝
  ~火打山山頂の懸仏②~

前回は火打山の山頂より出土した小仏像(懸仏)を紹介しました。山頂から出土したお宝はこれだけではなく、平成十年頃には高谷池ヒュッテの関係者によって写真の鏡面も採集されています。さらに、他にも仏具のような金属製品が数点採取されているようです。

この鏡面は直径十七㎝の銅板で壁掛け用の二対の小孔と何かを固定したと思われるホゾ孔があけられています。その裏面には「能生白山 御正躰 文□五年六月 日 勧進僧實意」と刻まれ、ホゾ孔はこの刻銘の後にあけられています。しかも前回紹介の小仏像をこれに付けるとほぼ一致します。

火打山山頂出土の鏡面と小仏像

鏡面の形状などから「文□五年」は文永五(一二六八)年と理解できることから、文永五年あるいはそれ以前に製作された鏡面にホゾ孔をあけて懸仏として山頂に埋納したことになり、仏像の年代から十五世紀(一四〇〇年代)頃の行為であったことになります。

鏡面の裏面と刻銘

火打山は能生谷の最深部に聳え、能生谷を潤す能生川の水源でもあることから、雨乞いを願ったとも推定され、白山神社(神仏習合)の實意と名乗る僧侶が氏子らの依頼によって山頂に懸仏を埋納したのでしょうか。埋納にあたっては白山神社あるいは関連の寺社に奉納されていた鏡と仏を組み合わせたようです。もちろん、これらの祭祀にあたっては氏子からの奉納金が伴ったことでしょう。谷の最深部に聳える高山への深い畏敬の念を感じます。(木島)

ほこ通20190210(第72号)より