早川の氾濫 ~法円寺の川欠~
想定を超える豪雨に悩まされる昨今ですが、江戸時代にも降り続く大雨により早川の氾濫は度々あったようです。早川谷の大肝煎であった斉藤家(伴家)も領主の高田藩に被害を報告しなければならないことから「伴是福家文書」にはそうした報告の下書きなどを散見できます。

新潟県糸魚川市にある小さな農村のページだよ。
早川の氾濫 ~法円寺の川欠~
想定を超える豪雨に悩まされる昨今ですが、江戸時代にも降り続く大雨により早川の氾濫は度々あったようです。早川谷の大肝煎であった斉藤家(伴家)も領主の高田藩に被害を報告しなければならないことから「伴是福家文書」にはそうした報告の下書きなどを散見できます。
絵図に描かれた中川原新田と湯川内
何度か紹介したとおり大肝煎の斉藤仁左衛門(伴家)は中川原台地の新田開発を成し遂げたことから、「伴是福家文書」には中川原台地を記した絵図を数多く確認できます。
早川谷の村々 伴家文書より
早川谷の大肝煎を務めた斉藤家(伴家)も地滑りにより不動山山麓から退避を余儀なくされました。その際に多くの記録類は失われたものと推察されますが、辛うじて難を逃れた文書類1,623点は現在糸魚川歴史民俗資料館に収蔵されています。この文書類にはこれまでに紹介した境界争いや新田開発などの経緯を示す古文書の他に絵図なども多く含まれます。