上早川の歴史と伝説 その59

不動山城の城主(その4) 山本寺孝長

前回は上杉景虎の守役であった不動山城主の山本寺定長が御館の乱で上杉景勝軍に敗れて敗走したことを紹介しました。今回は定長の弟で景勝側に味方した山本寺孝長の悲劇を紹介したいと思います。

山本寺孝長らが自刃した魚津城を偲ぶ記念碑(魚津市立大町小学校内)
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上早川の歴史と伝説 その58

不動山城の城主(その3) 山本寺定長

前回紹介した不動山城主の山本寺貞景が越中に敗走した時、その子定景は6歳であったらしく、貞景の家来に育てられたようです。定景はやがて長尾為景(謙信の父)に見いだされ、為景の妹を嫁にして不動山城主に返り咲いたようです。元々、越後国守護の上杉氏と姻戚で結ばれ、ここで越後国の実行支配者である守護代の長尾家とも結ばれたことになったのです。

定長の運命を変える舞台となった
御館跡(上越市五智1丁目)
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上早川の歴史と伝説 その57

不動山城の城主(その2) 山本寺景貞

早川谷を支配した不動山城の城主・山本寺氏の概要は、前回の紹介のとおりです。その歴代城主のなかでも、越後の実力者である長尾氏に敵対した山本寺景貞、長尾上杉氏の跡目争いである御館の乱で敗軍となった上杉景虎に組した定長、魚津城で織田・柴田軍と敵対して自刃した孝長らは悲運の城主と言えるでしょう。そこで、これら悲運の城主を紹介しておきたいと思います。

山本寺景貞らが落ちのびたと伝わる
片貝川上流左岸の平沢集落
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