~早川右岸を潤す東側用水 その2~
前号では中林の法円寺境内にある「東側用水之碑」背面の碑文を参考に、東側用水の竣工までを紹介しました。そこで、ここではその工事の測量技術や用水開削による効果などを紹介しておきます。
“上早川の歴史と伝説(その47)” の続きを読む~早川右岸を潤す東側用水 その2~
前号では中林の法円寺境内にある「東側用水之碑」背面の碑文を参考に、東側用水の竣工までを紹介しました。そこで、ここではその工事の測量技術や用水開削による効果などを紹介しておきます。
“上早川の歴史と伝説(その47)” の続きを読む~早川右岸を潤す東側用水 その1~
以前、紹介したように加賀・富山藩と高田藩の間に位置する西浜(現在の糸魚川市・上越市名立区)は糸魚川藩・高田藩・幕府・伊勢神宮等の領地が混在していました。さらに、早川谷はこれに田沼藩領が加わり、複雑な支配が続いていたのです。もちろん糸魚川藩の領地は多いのですが石高1万石と弱小で殿様も江戸詰めで現地は代官の支配でした。このように川の両岸や隣村の支配が異なることから、江戸時代前期に高田藩が行った上江用水(正保年間1645年前後)や中江用水(延宝年間1675年前後)といった大規模な農地整備はできませんでした。もちろん、糸魚川の急峻な地形も大きな阻害要因でした。
“上早川の歴史と伝説(その46)” の続きを読む~水資源との闘い~
上早川を取り囲む焼山・火打山・鉾ケ岳・烏帽子岳・昼闇山といった高い山々は、日本海の水蒸気をたっぷり含んだ雪・雨雲の衝立となり、上早川に大量の雪と雨をもたらします。このため、この地域は豊富な水資源に恵まれています。もちろん、豊かな水源は焼山川、火打川、前川、西尾野川、大滝川や谷水が合流して滝のような早川となって日本海に注ぎ、時として洪水をもたらし甚大な被害を流域にもたらします。一方、早川の先人たちはこの豊かな水を利用して大地を潤し、豊かな実りの大地を育んできました。
“上早川の歴史と伝説 (その45)” の続きを読む~度重なる洪水と早川の河川改修~
平成7(1995)年7月11日、梅雨前線の停滞による大雨は各地に甚大な被害をもたらしました。特に、姫川上流の新潟・富山・長野県の県境付近では11日、12日の雨量が400㎜を超え、国道148号線はもちろん大糸線も濁流に呑まれ、小滝地区は孤立、その復旧には長い時間を要しました。梅雨終盤の7月から台風がおさまる10月までは洪水や土砂崩れに警戒しなければならない季節です。

焼山噴火史 ~遺跡が少ない早川谷~
焼山火山の誕生は縄文時代後期の約3,000年前、約3,500年前とも言われています。この年代は中川原台地に埋もれた炭化木の放射性炭素(C14)年代測定によって導き出されたことが、『糸魚川市史』1や妙高市在住で妙高火山群研究の第一人者で知られる早津博士の著作などで確認できます。もちろん、昭和50年代の放射性炭素による年代測定であることから最新の年代測定法に比べれば測定誤差は予見できますが3,000~3,500年前とした年代は大きく変わらないようです。
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