上早川の歴史と伝説 その77

ここ数回は日光寺を取り上げてきましたが、日光寺付近から谷根一帯のあちこちに巨礫を観察できます。

大規模な崩落によって形成された緩斜面と巨礫群の地形
東塚・西塚・見滝・谷根・高谷根

月不見の池や八十八ケ所などはその典型で、特異な景観を醸し出しています。そこで、今回は筆者の専門外ではありますがこうした累々とした巨礫の成り立ちを探ってみたいと思います。

月不見の池や八十八ケ所などを形成する累々とした巨礫群はどこからきたのでしょうか。これらの巨礫は凝灰角礫岩と呼ばれ、いわゆる海底火山の噴出に伴う岩石であることから、焼山の噴火によってもたらされたと説明を聞かれた方も少なくないようです。しかし、それは間違いで、烏帽子岳の斜面崩落によって生じたようです。つまり、フォッサマグナが海であった300万年前頃に海底火山の噴出によって既に海底に堆積していた泥岩の上に堆積したようです。それがフォッサマグナの隆起によって地上に持ち上げられ、その途中、泥岩の上に堆積した重たい凝灰角礫岩が崩れ落ちたのです。早川谷から根知谷にかけて、烏帽子岳、海谷、駒ケ岳の麓に形成された急崖は、その痕跡なのです。

写真のように、角間、東塚、西塚、高谷根にもこうした崩落崖を観察できます。そして、崩落した重たい巨礫は斜面にそって転がり落ち、やや緩やかな谷根から滝川原付近で止まったようです。もちろん、こうした巨礫だけではなく、崩落した大量の土砂や礫は急崖の麓に緩斜面や移動地塊(流れ山)山を形成しています。

こうした崩落も人類が当地に足を踏み入れた頃には既に現在のような地形が形成されていたようで、人々はこうした緩斜面に集落を営み、水田を開墾したのです。(木島)