上早川の歴史と伝説 その71

~雪景色の金山城跡~

戦国期に早川流域を支配した山本寺氏の居城である不動山城の本丸からは早川谷はもちろん姫川流域から親不知方面を遠望できます。しかし、能生・直江津方面は海岸まで迫る山並みに遮られます。そこで、重要なのが田屋集落西方の尾根に築かれた金山城であったようです。 

金山城の本丸を防御する堀切と切岸

この城の城主は解っていませんが、麓の谷間(北陸新幹線保守基地)では鎌倉時代に北陸一円の守護を務めた名越氏(北条一門)の代官に関係する居宅とされる大規模な建物跡や苑池が検出され、中国の舶来磁器なども多数出土しています。さらに、その裏山からは親不知方面はもちろん能生・上越方面を一望でき、海岸に沿った街道だけでなくその沖を通る船をも眼下におさめることができます。まさにこの一帯の頂は西と東を結ぶ街道あるいは海路を眼下におさめる戦略的な要地であったと理解できます。

この金山城は田伏側から道がつけられていますが、戦国期の館は姥川を渡った田屋に築かれていました。北陸自動車道の建設に伴う発掘調査で馬屋をはじめとする多くの建物跡が検出され、16世紀代の遺物も確認されています。雪景色にこの山城を田屋付近から望むと写真のように不自然な凸凹が連続しています。この凸凹は狭い尾根を堀割った「堀切」、急斜面を削り出した「切岸」など本丸に攻め登る敵の侵攻を防ぐ防御施設の痕跡を観察できます。守りを固めた山城の典型的な遺構を確認できる雪景色です。

ほこんたけ通信20230210(第164号)より