~日光寺の隆盛を偲ばせる仏像群~
前号は日光寺に纏わる舞楽面(陵王)を紹介しました。明治の廃仏毀釈で廃寺となった寺院も少なくありませんが、この日光寺は神宮寺(一の宮)、蓮台寺(蓮台寺)、真光寺(真光寺)、水穂寺(水保)、雲大寺(御前山)、千手院(山寺)、泰平寺(能生)などとともに、市内では古刹として知られ、多くの文化財を有しています。そこで、暫くこの日光寺の関係資料を紹介することにします。
“上早川の歴史と伝説 その75” の続きを読む~日光寺の隆盛を偲ばせる仏像群~
前号は日光寺に纏わる舞楽面(陵王)を紹介しました。明治の廃仏毀釈で廃寺となった寺院も少なくありませんが、この日光寺は神宮寺(一の宮)、蓮台寺(蓮台寺)、真光寺(真光寺)、水穂寺(水保)、雲大寺(御前山)、千手院(山寺)、泰平寺(能生)などとともに、市内では古刹として知られ、多くの文化財を有しています。そこで、暫くこの日光寺の関係資料を紹介することにします。
“上早川の歴史と伝説 その75” の続きを読む金山城の館 ~立ノ内遺跡~
前回紹介した金山城跡の城主館と思われる痕跡は、北陸自動車道の建設に伴った新潟県教育委員会による発掘調査で、田屋字立ノ内地内(姥川を挟んで城跡の東方約700m、標高は約25m前後)で確認されています。
“上早川の歴史と伝説 その72” の続きを読む~左右に暴れる早川の流れ~
現在の早川と前川(湯川)は中林付近で合流していますが、『西頚城郡誌』(1930)では五十原付近で合流していたとしています。また、「歴史と伝説」のその67・68で紹介した絵図には不安定な早川の流れと川欠の痕跡が描かれていました。
“上早川の歴史と伝説 その69” の続きを読む