人は誰しもが認められたいと思う気持ちを持っています。その為に努力し、結果が出た時には嬉しいものです。選手たちは校内の大会はもちろん、早川大会や市民大会などを日頃の腕前を発揮する場として練習に励んだ事でしょう。その中でも人気のあった大会が「いまい杯」と聞いています。この大会では早川スキークラブは後援の立場として側面的に関わって盛上げました。

人は誰しもが認められたいと思う気持ちを持っています。その為に努力し、結果が出た時には嬉しいものです。選手たちは校内の大会はもちろん、早川大会や市民大会などを日頃の腕前を発揮する場として練習に励んだ事でしょう。その中でも人気のあった大会が「いまい杯」と聞いています。この大会では早川スキークラブは後援の立場として側面的に関わって盛上げました。
前回は自身の小学時代の活動を掲載させて頂き、たっぷりと思い出に浸る事が出来て満足いたしました!今回は昭和30~40年代のスキー活動に触れてみました。
早川スキークラブは育成活動として下早川小学校の児童の指導にあたっています。1月から毎週土日、旧上小グラウンド周辺にコースを設け、特訓です。地元のコーチや保護者の協力のもと、児童らは大変恵まれた環境のなかで指導いただいています。
間もなく90回を迎える早川スキー大会。この長い道のりを経て継続されてきたスキー活動の中、全国レベルの大会で成績を残された選手がこの早川谷から何人も排出されました。
なかなか収束する気配もないコロナ禍ですが2月には規模を縮小し、市民・早川スキー大会を開催することが出来ました。その早川大会も次回は90回大会を迎えます。一口に90回と言いますが継続されたことは素晴らしい事と思います。90回大会に向けて地域・選手らに心に残る記念大会にしたいと早川スキークラブ原克芳会長は意気込んでいます。藤井義典様(東海…郷土史研究家)の貴重な資料から歴史はもちろん、関連するエピソードなどをお伝えしていきます。