早川スキークラブ 90年の軌跡⑥

10年前に藤井義典様が作成された「早川スキークラブ80年の軌跡」には大正9年頃に早川スキークラブが結成されたと思われる内容が掲載されており、その後のクラブ活動のあゆみを知ることが出来ます。

昭和16年ころ(西山小学校閉校記念誌より)  

その中で「昭和28年見滝で模範演技会開催、観衆約5千人」「昭和29年第27回早川大会観客数2千人大盛況」、などと記されていますがこの地で千人を超すほどの観衆が集まることが想像出来ず、著者の藤井様にお話を伺いました。

答えは「冬の楽しみはスキーしか無かったから」だそうです。そのきっかけを作り上げたのは早川スキークラブ初代会長の島田長止氏(越)。冬季の青少年の野外体育と雪の克服・精神養成にと精力的に動き、物心両面について惜しみなく投げ出し、ご尽力されました。

昭和初期のスキー大会(中早川小学校閉校記念誌より)

昭和23年には串橋省吾氏(西塚)が2代目会長に就任され、上越大会、県大会など各種大会を誘致したり、選手養成に外部へ派遣したり、よき指導者を招いたりして選手の技能向上と早川スキークラブの名を外部に広めました。昭和27年に第1回の西頸城郡スキー大会(兼 第25回早川大会)開催時には5百人もの選手を地元の民家に分宿されました。

昭和28 年ころ(上早川中学校創立40周年記念誌より)

このような協力体制からいかに地域住民がスキー活動に関心があったということが伝わります。スキーしか楽しみが無い…というよりスキーの為に冬を待ちわびていたかのように感じます。前に述べた昭和28年見滝でのスキー模範演技会では飛躍、回転、距離の各部門において全国で活躍されている選手を約20名招待。当時冬期間の路線バスは新町止まりだったので地区外の方はそこから歩いて来場となります。大変な行列だった事でしょう。農業が中心だった頃ですから中学卒業後は地元に残り、定時制高校に通い家業を手伝う青年がほとんどだったようです。冬はスキーに親しみ、他の季節には演芸会や焼山登山で親睦を深め、良き青春時代があったのはスキークラブが原点だったのではないでしょうか。

藤井様は言われます。「この様に活動できたのは上早川ならではの地域性。決して一人ではなく皆で協力したから出来た事。」と。世帯数も人口も減ってしまい、高齢化率も高い今日ですが現状に合った活動を見つけて地域が仲良く心豊かに生活が出来る環境を目指したいと思いました。

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