木浦地区学習会

令和6年3月17日(日)
上早川地区公民館主催の学習会に参加してきました。

最初は
◆フォッサマグナミュージアムの
ジオパーク巡回展「地球時間の旅」を訪れました。

このパネルの写真各地のジオパークの写真で
糸魚川もあるんだよ。

次は、
◆鬼舞の国指定重要文化財「伊藤家住宅」
残念ながら公開時期でないとの事で、上の方からの見学です。
船を9層も持っていたことから財を成した。
能生駅まで行くのに自分の土地を通っていけたとのこと…(*’▽’)

その近くに
◆鬼舞五社があり
奉納された備後尾道石工が尾道産の花こう岩で造つた石造物の狛犬や鳥居、灯篭を見学。
能登地震のため灯篭が倒れたりずれていたりしていました( ;∀;)

◆鬼の墓
近くに鬼の墓があるとの事で徒歩で移動。
ようやく探し出し、風の強い中説明を聞きました…。
鬼って書いてあるらしいのですがよくわからない(/ω\)

◆民泊施設
講師を依頼した伊藤さんは、
実家を改装し民泊をしているとの事で立ち寄りました。
外国の方も利用されるとのこと。

◆長者温泉「ゆとり館」
「昼食」
お弁当頂きました(^^♪
おいしかったよ(^^)/

「トンビ峠のお話」
伊藤講師からお聞きしました。
木浦側から当時を知っている方々と峠を目指したそうです。雑草が生い茂り大変だったとのこと。

「ゆとり館 女将から」
木浦を選んだ理由…ほかの谷も見たが、山で生活したかった。
出身が埼玉県で海も憧れたいたので、木浦地区は海と山が近くギュッとしていたから選んだ。山も海もある木浦地区では海側で住む人、山側で住む人、特に対立していない。
谷の奥にも交流施設(温泉など)があり、オープンな感じがした。
夕日も良かったので鬼舞に決めた。
寂しくなった施設だが、続けてきたことが素晴らしい。
自分たちが守るという意識で、ゆとり館の担い手を探していた。
生半可な人には任せられないとの表れで、思いを文書での提出を求められた。
ゆとり館を任され、近くでもない遠くでもない距離感で助けて頂いた。
その時の恩を返したいと思っている。

また、移住することについては…
親も実家を出てきたこともあり、家を継ぐ感覚がない。
今は守るものがあるから娘には継いでもらいたいと思うかもしれない。

自分の実家があるのに何で移住するのだろうと、疑問に思っていたのですが…。
そうゆう事なんですね。
でも、環境を変えて一から生活を作っていくという事は、元気があるからできるのでしょうね。人がいない、高齢化で農業の担い手がいない現状ですが…
遅いかもしれないけど、ちょっとでも元気が出せたら変わるでしょうかねぇ。

学習会が終える頃は、雨が降り出す天気でした。
少しは元気をいただきましたでしょうか?
最後に記念写真を撮り帰路につきました。

記念写真撮影後です。