県大会や国体に出場した選手名簿の資料には女子の名前がほとんど見当たりませんが先回(9月22日号)のほこんたけ通信掲載写真のようにおかっぱ頭にモンペ姿の可愛らしい選手が各学校の記念誌で確認できます。当時のスキー用具、服装、スキー授業の様子を知りたくて西山小学校出身で現在は土塩集落にお住いのご婦人3名からお話をお聞きしました
西山小閉校記念誌には鉾ケ岳をバックに児童らがスキーを履いて整列している写真が載っています。かすりの半纏(ハンテン)にモンペを履き、スキー靴は藁製では無いようです。聞けばこのようにきちんとした靴を使えるのは選手のみ。その他の児童や低学年の児童は「おそかけ」を使用していたとの事です。ワラジにカバーをかけた様な履物でかかとの部分は布製の刺し子で仕上げてあり、もちろん自分で作ったものを使用していたとの事です。それをスキー板の金具に縄ひもで縛るのですが転んだら最後、履き直すには時間がかかってしまうので気を付けながら乗ったそうです。
校内スキー大会と言えば西山地区のお祭りだったと言います。会場は中嵐地区。校舎からかなり離れていますが地域の青年会の協力が大きかったようです。コース設営から会場準備、そして青年会の皆さんも選手として校内スキー大会に加わり活気あふれる冬季の祭典でした。世帯数も多かったので大会会場は応援団や見学者で大変な賑わいだったとのこと。当時、中嵐地区は5~6件の集落だったとお聞きしましたが甘酒や砂糖湯、お昼にはお汁のおもてなしがあり、暗くなるまで一日中楽しみました。また、ご自分の息子さんたちのスキー大会では応援に夢中になり、七輪でオーバーの裾を焦がしてしまったエピソードもお聞きしました。
昔はひとつの会場で距離、滑降、飛躍とすべての競技を応援することができ、大変良かったけど今の大会は淋しくなった、と残念な感想も。人口減少、児童減少はどうする事も出来ない現実となってしまいました。
今回、3人のご婦人には昭和20年前後のお話をお聞きしました。皆さん、段々と記憶も蘇り時々テーマが脱線して生活用品は藁で手作り、菅笠を100枚担いで梶屋敷まで行った、その帰りに新町で「どばん」(ポップコーン)を買うのが楽しみ、1本ゾリと2本ゾリの事など貴重なお話をお聞きしました。
今の子どもたちにも後に人生の思い出として語れる様な経験をスキーの育成活動を通じて出来ると良いなあと感じました。