~「早川入江」伝説を探る~ まとめ
これまで数回に渡って「早川入江」伝説を取り上げ、人類の有史以降において早川谷に海が入り込んだ事実は無く、全くの創作であることに言及してきました。ここでは、そのまとめをしておきます。 この伝説は、「往古早川谷之絵図」と「貝塚の貝」、「土塩・東海」などの地名が合体してあたかも史実であるかのように広まり、『上早川村勢要覧』(1952)にも掲載、学校でも教えられ、家庭では祖父母から孫に伝えられました。

(『北越風土記節解』丸山元純)
~「早川入江」伝説を探る~ まとめ
これまで数回に渡って「早川入江」伝説を取り上げ、人類の有史以降において早川谷に海が入り込んだ事実は無く、全くの創作であることに言及してきました。ここでは、そのまとめをしておきます。 この伝説は、「往古早川谷之絵図」と「貝塚の貝」、「土塩・東海」などの地名が合体してあたかも史実であるかのように広まり、『上早川村勢要覧』(1952)にも掲載、学校でも教えられ、家庭では祖父母から孫に伝えられました。

~「早川入江」伝説を探る~ その6
「往古早川谷之絵図」創作の背景と普及
これまで、早川入江伝説に纏わる関係資料を紹介し、そうした伝説が創作された背景を探ってきました。ここでは、そうした創作図が描かれた歴史的背景と伝説の広がりを確認しておきます。

~「早川入江」伝説を探る~ その5
「往古早川谷之絵図」創作の背景
これまで紹介したように早川谷に伝わる「往古早川谷之絵図」は想像図であり、史実とはかけ離れています。その創作は「宮平剣神社の神官某」であると推測しましたが、なぜこのように想像したのでしょうか。また、なぜこのような絵図が『上早川村勢要覧』(上早川村役場1952)に添付され、実しやかに広まったのでしょうか。

~「早川入江」伝説を探る~ その4
「往古早川谷之絵図」は誰が描いたのか?
「早川が入江になっていた」とする伝説の根拠となったこの「往古早川谷之絵図」はいったい誰が描いたのでしょうか。
