~日光寺の隆盛を偲ばせる仏像群②~
前号ではかつて日光寺の観音堂に奉られていた木造阿弥陀如来坐像、木造十一面観音立像(いずれも新潟県・有形文化財)などを紹介しました。現在、これらは本堂横に設けられた奉安庫に奉られています。現在、観音堂に奉られているは写真の四天王像(糸魚川市・有形文化財)で、今回はこれを紹介します。
本来、四天王像は本尊を守護するため東方に持国天(じこくてん)、南方に増長天(ぞうちょうてん)、西方に広目天(こうもくてん)、北方に多聞天(たもんてん)を配すべきところですが、この堂では並列しています。『西頸城郡誌』では『越佐史料』の一文を引用して浄澄の作としていますが、『糸魚川市史』1巻では「浄澄はおかしいので、有名な定朝といいたいのかも知れない」としています。いずれの像も腰をひねり、活動的な姿をみせ、それでいて充分な安定感をもち、体躯もよく肉が引き締まっていて見事な彫刻であることから、平安時代後期の作であろうとされています。これだけの古像であれば新潟県の指定文化財でもおかしくありませんが、市の指定文化財に留まっているのは、真新しくしてしまった近年の修復による補彩の影響のようで、惜しまれます。
いずれにしても、この四天王像をはじめ前回紹介の阿弥陀如来坐像、十一面観音立像、伝勢至菩薩立像といずれも平安時代後期ないし末期の仏像がこれだけ奉られた寺院は市内ではほかに無く、日光寺および観音堂の古くからの隆盛を物語るに充分といえます。昭和30年代の火災で焼失した本堂と庫裡にはこれを証左する史料が少なからず存在したのではと、悔やまれます。(木島)
ほこんたけ通信20230710(第174号)より