上早川の歴史と伝説 その73

前回紹介した田伏にある金山城の館である田屋の立ノ内遺跡からは戦国期16世紀の陶磁器などが出土しています。しかし、出土した遺物はそれだけではなく、様々な時代の土器が出土しているのです。

立ノ内遺跡から出土した製塩土器の破片

早川谷は西海谷や能生谷に比べると遺跡が少なく、焼山の火砕流と泥流などによって存在した集落の痕跡が消失した可能性があります。そのため、立ノ内遺跡の出土土器などは貴重な遺物といえます。

立ノ内遺跡では約2,500年前の縄文時代晩期の縄文土器、約1,600年前の古墳時代前期や1,000年前の平安時代の土器・土師器(はじき)などが出土しています。つまり、これらの時代には間違いなく人の営みが存在したことを示しています。

なかでも、興味深いのは写真のような粗製の土器が多く出土していることです。平底でバケツ状の形状を示すこの分厚い土器の表面は赤く焼け、内外面に粘土紐を積み上げた痕跡が明瞭に残ります。このような特徴の粗製土器は、海水を煮詰めた土器、いわゆる製塩土器と呼ばれるもので、市内上刈の道者ハバ遺跡、大和川の岩野B遺跡などからも類似の土器が出土しています。県内の製塩土器の出土例を確認すると、各地の大規模な遺跡から出土しているようです。道者ハバ遺跡と岩野B遺跡も大きな建物跡が検出され、当時の高級陶器である灰釉・緑釉陶器などと硯(すずり)や文字の書かれた土器なども出土しています。つまり、そこには高級な陶器を使い、文字を書ける人が存在したことを示し、姫川や海川流域の支配に関わった遺跡と推定できます。この立ノ内遺跡も早川下流域の支配に関わる重要な遺跡であった可能性があるのです。(木島)