前回は自身の小学時代の活動を掲載させて頂き、たっぷりと思い出に浸る事が出来て満足いたしました!今回は昭和30~40年代のスキー活動に触れてみました。
市内でも西海(海川クラブ)、根知(姫川クラブ)、小滝、今井と各地区にスキークラブが存在し、市民スキー大会で距離、大回転、飛躍それぞれの種目を競技して総合得点を競っていました。競技会場については根知、山之坊などでも開催されましたが「早川スキー場」で多く実施されていたようです。
早川スキー場とは旧中早川小学校周辺です。坂があり平地もある。そして越集落の西側にジャンプ台がありましたから3種目の競技も同時に開催可能だったのですね。このジャンプ台は我が家の裏方にあり、子どもの頃は既に骨組みとなる「台」は取り外されていましたが急な坂を踏み固めてソリやスキーで滑った思い出があります。昭和36年第34回早川スキー大会は会場に「下早川小学校周辺・東海シャンツェ」と藤井義典様の資料に記されています。地域の方にお聞きすると見滝集落にもジャンプ台があったとのこと。スキー場においてもささらスキー場(土塩)、砂場中嵐スキー場、高谷根スキー場があり、降雪量の多さや青少年育成など地域活性化に盛り上がっている様子が伺われます。
昭和41年3月10日号の広報「いといがわ」に第12回市民スキー大会の記事が大きく掲載されています。開催日は2月19日、20日の2日間。見出しには「早川クラブが総合で12連勝」とあり、無敵の強さが伝わります。 上早川地域振興会長の原鞘男様は当時、距離種目でも活躍されていましたがある年、飛躍種目で市民大会に出場して見事優勝をされた経験の持ち主。さぞかし日々、厳しい練習を積み重ねたのでしょう。と思いきや、練習などはあまりせず、たまたま優勝したのだそうです。事実かどうかはわかりませんが早川の皆さんは体力とスキーへの情熱とセンスをお持ちだったという事でしょうか。