早川スキークラブ 90年の軌跡①

なかなか収束する気配もないコロナ禍ですが2月には規模を縮小し、市民・早川スキー大会を開催することが出来ました。その早川大会も次回は90回大会を迎えます。一口に90回と言いますが継続されたことは素晴らしい事と思います。90回大会に向けて地域・選手らに心に残る記念大会にしたいと早川スキークラブ原克芳会長は意気込んでいます。藤井義典様(東海…郷土史研究家)の貴重な資料から歴史はもちろん、関連するエピソードなどをお伝えしていきます。

第35回大会

大正6年、早川地域でもスキーが流行し、竹や木の皮で作ったスキーで遊ぶようになりました。大正9年、早川スキークラブが結成され、第1回大会が開催されました。初代会長は島田長止氏。現在、西谷内で開業されているしまだ医院、島田長樹医院長のお爺様です。冬期間の青少年育成で雪国ならではのスポーツを通じて心身を鍛えることを目標とされました。

第6回大会

会場は現在の西塚地区で地滑り跡の西端の斜面が格好のスキー場となり、それを利用して大会が行なわれ、後に「早川スキー場」と呼ぶようになりました。昭和35年あたりから土塩ささらスキー場、下小周辺、上小周辺と会場が変わっています。

現在の焼山の里ふれあいセンター周辺で行われるようになったのは平成11年(68回大会)からです。また、少雪のため中止となった年も何回かありましたが昭和2年は大雪のため中止となっています。(新町で最高積雪375cm!)それから昭和19年~21年は「戦争のために中止」と記されていて改めて歴史の深さを感じます。

第3回大会

藤井様の資料で一番古い大会要項は1957年(昭和32年)の第3回大会のもの。用紙はシミだらけで印字も薄れていますが読みやすい文字で書かれていて当時の事務局の方々のご苦労が伝わります。