上早川の歴史と伝説 (その三十四)

「山の恵み」~炭焼き~

山の恵みと言えば山菜ぐらいしか連想できない昨今ですが、かつては生活物資の多くを山から調達していました。前回紹介した木材は住宅の建設はもちろん、十八年ごとに見舞われる糸魚川宿の大火の復興に供給されました。さらに、生活に必須な燃料も山から得ていました。現代生活に欠かせなく、私たちの生活をとても便利にした灯油やガスは、戦後の経済成長に伴って急速に普及しました。しかし、それまでの調理や暖房は専ら薪や木炭といった山の資源が使われていました。薪は自前で調達できても、木炭の大半は購入するしかありませんでした。

上早川ではこの木炭の生産も盛んで、昭和二七(一九五二)年度刊行の『上早川村勢要覧』によると、上早川村では九八基の炭窯が築かれ、一二六戸が木炭の生産に従事し、年間一六五五一俵の出荷があったそうです。また、新潟県も木炭の生産を奨励し、昭和二一(一九四七)年は各地区に木炭生産組合の設立を呼びかけ、上早川もこれに同調しています。さらに、翌年の昭和二二年は西頚城郡に九五万貫もの生産目標を課しています。一貫を三.七五キロとすると三五六二トンを超える生産を期待したことになります。一俵が何キロであったかは不明ですが、上早川では木炭生産者一戸あたり年間に一三〇俵もの木炭を山から運び出したことになります。もちろん、冬季の生産は見込めないことから、雪消えから降雪までの半年、農繁期の合間に生産していたことになります。

谷深く耕作地に恵まれているとは言い難い上早川に多くの人々が住み続けた背景にはこうした山の恵みがあったことは確かなようです。 (木島)

ほこ通20190710(第82号)より