上早川のお宝
~火打山山頂の懸仏①~
早川谷の最深部に焼山とともに聳える標高二四六一ⅿの火打山の山頂は、糸魚川市と妙高市の境界にあります。昔の着火具である「火打ち金」に似ていることからついた山の名で、今では専ら妙高市の笹ヶ峰から登ることから、妙高市の山として知られているようです。しかし、早川・能生谷を潤す河川は火打山を水源としているばかりか、私たちの日常の景観に溶け込んでいる山でもあります。
このような谷の源になる高山は、古くから信仰の対象でもありました。火打山の山頂からも中・近世期の興味深いお宝が出土しているのです。いつ、誰が、何のためにこんな山の頂にお宝を埋めたのでしょうか。二回に分けてそのお宝を紹介します。

(市・歴史資料 白山神社所蔵)
昭和三〇年代に火打山山頂の水準点設置に従事した能生中尾の作業員が、掘削中にその排土から二躰の青銅製小仏像を発見したそうです。うち一躰は知人に譲ってしまい、写真の懸仏を大切に保管していました。高さ一一.五㎝と小さなこの懸仏を『能生町史』では鎌倉期、十三世紀の作と紹介しています。しかし、当該期のものに比べて彫も浅く、鋳造も丁寧とは言い難いことから室町期、十五世紀代の作とみるべきでしょう。
このような懸仏を誰が埋めたのでしょうか。次回に紹介する青銅製の鏡面の発見でそれが解りました。(木島)
ほこ通 20181210より