インタビュー実施日 2018年10月12日 / 聞き手 集落支援員 森
☆上早川のみなさんに聞いてみたいこと、いろいろ!
中部支館 五十嵐秀雄さん(89)土塩生まれ
🎤ご出身は…岩谷(いわだに)。土塩の山側で、猿倉との境目にあった集落。
🎤子どもの頃の呼び名…「ヒデ」
🎤子どもの頃によくやった遊び… 夏なら川行っとるが仕事、冬ならスキー行っとるが仕事だね。
🎤子どもの頃に楽しみだった行事…運動会か、お盆の行事で踊りやなんかを見に行くのが楽しみだったね。昼間は寄り相撲を見て、夜は盆踊りでね。1日が善正寺、2日は法園寺、3日は越の伴さんのお屋敷で、3日連続で見に行く。屋台もあって、テキヤが来てアメやキャンディーを売ったり、そこらのおばあさんたちが小遣い取りに草餅をついたり、うで(茹で)梨、うで栗、えんどう豆を売ってたりして。それから昔は5月8日っちゃ『音坂銀座』と言って、そこらじゅうのお店が糸魚川から音坂に出張してきていた。飲み屋さんが来て、甘いもんも売っとるし、浜から魚屋さんが来たり古着屋もあったり。それも楽しみだったね。
🎤子どもの頃から好きな土地の食べもの…とうもろこしとすいか、まくわうりぐらいだね。子どもの時はそこらの畑からすいかとかまくわをとって、泳ぎに行くときに抱いて持って行く。まっきびは抱えて行って川原で火を焚いて焼いて食うんだ。子どもの集まりにはボスがおってね、みんなに石を積ませて水をせき止めて泳ぐ所を作る。石を積まないと泳がせてもらえんがんだ。小さい子は小さい石、大きい子なら大きめの石を運んでボスの言うとおりに作ると、ちゃんと泳ぐところができる。お天気の具合を見て、雨が降ってきたり川の様子が変わってきたらボスが「はい、上がれ!」と言って、みんな言うことを聞いて上がって帰ってくる。そうやって、親のやっかいにならんでも、子供同士でちゃんと面倒見て遊んどったもんです。
🎤子どもの頃の思い出…錬成会ちゅうががあってね、小学校6年生と高等科1,2年全員で、3日間学校で寝泊りする。自分達でご飯も作って生活する。戦時中に、精神を鍛えるためにね。夜になりゃ肝試しをして。楽しかったね。きかん子供だったからよく先生に怒られたけど、怒られてもおっかななかった。毎日教務室に行って立っとった。罰で炭穴(学校で1年分使用する炭を置いておく所)ん中に入れられて。でも冬はその方がいいんだ。教務室とか炭穴の方が暖かいし、夏は夏で涼しいし(笑)。高等科1,2年の時には、郵便局にアルバイトに行って自転車で電報配達をした。昔は自転車なんて貴重品だもの、みんな持ってなかった。湯川内から風を切って乗ってくるのが楽しみだったね。
🎤人生で大切にしていること… 暴飲暴食しないように。
🎤上早川で好きな時期…4月だろうね。それと秋。梨、栗、柿と、なりものがなるからね。若い時は何も感じなかったけど、歳をとったらこういう時期がいいと思うようになったね。
🎤一番好きな景色は… なんたって焼山だろうね。
🎤上早川の好きなところ…気心が知れた人が大勢いること。
🎤「こういう上早川になるといいな」…バスが止められないようにみんなに協力してもらえたら。それが一番の頼みです。
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【インタビューを終えて】少年時代に子供たちだけで統率をとって色々と遊んでいたお話が特に興味深かったです。リーダーがちゃんと年少の子(グループ内で力の弱い子)を気に掛けているからこそ、皆リーダーに付いていく。そんなリーダーシップが現代の子供たちにも残っていれば良いなと思いました。自転車で湯川内から風を切って走ってくる五十嵐少年が見たかったです! 秀雄さん、貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました!