上早川の歴史と伝説 その69

~左右に暴れる早川の流れ~

現在の早川と前川(湯川)は中林付近で合流していますが、『西頚城郡誌』(1930)では五十原付近で合流していたとしています。また、「歴史と伝説」のその67・68で紹介した絵図には不安定な早川の流れと川欠の痕跡が描かれていました。

写真1「土塩村満水御入用御普請墨絵図」『伴是福家文書』所収
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上早川の歴史と伝説 その68

早川の氾濫 ~卯年の満水と越の山崩れ~

江戸時代の延享4(1747)年8月19日(旧暦)に発生したいわゆる「卯年の満水」は北陸地方に甚大な水害をもたらしたことで知られます。糸魚川市内も各地で水害(川欠)が発生し、その被災状況は『糸魚川市史4巻』(1979)に詳述されています。

越村の川欠絵図(延享四年卯八月)
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上早川の歴史と伝説 その67

早川の氾濫 ~法円寺の川欠~

想定を超える豪雨に悩まされる昨今ですが、江戸時代にも降り続く大雨により早川の氾濫は度々あったようです。早川谷の大肝煎であった斉藤家(伴家)も領主の高田藩に被害を報告しなければならないことから「伴是福家文書」にはそうした報告の下書きなどを散見できます。

法円寺境内を浸食した前川と早川(文政年間)
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