上早川の歴史と伝説(その46)

~早川右岸を潤す東側用水 その1~

以前、紹介したように加賀・富山藩と高田藩の間に位置する西浜(現在の糸魚川市・上越市名立区)は糸魚川藩・高田藩・幕府・伊勢神宮等の領地が混在していました。さらに、早川谷はこれに田沼藩領が加わり、複雑な支配が続いていたのです。もちろん糸魚川藩の領地は多いのですが石高1万石と弱小で殿様も江戸詰めで現地は代官の支配でした。このように川の両岸や隣村の支配が異なることから、江戸時代前期に高田藩が行った上江用水(正保年間1645年前後)や中江用水(延宝年間1675年前後)といった大規模な農地整備はできませんでした。もちろん、糸魚川の急峻な地形も大きな阻害要因でした。

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上早川の歴史と伝説 (その45)

~水資源との闘い~

上早川を取り囲む焼山・火打山・鉾ケ岳・烏帽子岳・昼闇山といった高い山々は、日本海の水蒸気をたっぷり含んだ雪・雨雲の衝立となり、上早川に大量の雪と雨をもたらします。このため、この地域は豊富な水資源に恵まれています。もちろん、豊かな水源は焼山川、火打川、前川、西尾野川、大滝川や谷水が合流して滝のような早川となって日本海に注ぎ、時として洪水をもたらし甚大な被害を流域にもたらします。一方、早川の先人たちはこの豊かな水を利用して大地を潤し、豊かな実りの大地を育んできました。

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上早川の歴史と伝説 (その44)

~度重なる洪水と早川の河川改修~

平成7(1995)年7月11日、梅雨前線の停滞による大雨は各地に甚大な被害をもたらしました。特に、姫川上流の新潟・富山・長野県の県境付近では11日、12日の雨量が400㎜を超え、国道148号線はもちろん大糸線も濁流に呑まれ、小滝地区は孤立、その復旧には長い時間を要しました。梅雨終盤の7月から台風がおさまる10月までは洪水や土砂崩れに警戒しなければならない季節です。

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