上早川の歴史と伝説(その48)

~奈良龍用水~

前回紹介した東側用水の麓に開削されたのが奈良龍用水です。かつては湯川内、猪平、岩倉、大平、寒谷、吹原の水田を潤していましたが、現在では役目を終えています。この用水については、大平と土倉の間の県道沿いに石碑が建つことから、この碑文でその概要を紹介することにします。

石碑はこの用水開削に尽力した作太郎と治左ヱ門の偉業を後世に伝えるため、関係する集落の諸氏より財を集め、大正九(1920)年に建立されたと刻まれています。

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上早川の歴史と伝説(その46)

~早川右岸を潤す東側用水 その1~

以前、紹介したように加賀・富山藩と高田藩の間に位置する西浜(現在の糸魚川市・上越市名立区)は糸魚川藩・高田藩・幕府・伊勢神宮等の領地が混在していました。さらに、早川谷はこれに田沼藩領が加わり、複雑な支配が続いていたのです。もちろん糸魚川藩の領地は多いのですが石高1万石と弱小で殿様も江戸詰めで現地は代官の支配でした。このように川の両岸や隣村の支配が異なることから、江戸時代前期に高田藩が行った上江用水(正保年間1645年前後)や中江用水(延宝年間1675年前後)といった大規模な農地整備はできませんでした。もちろん、糸魚川の急峻な地形も大きな阻害要因でした。

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