昭和34年8月15日糸魚川市中早川青年会発行「わかもの」創刊号より

登山記

八月二日今もまた雲一つない良い天気である。午前中の仕事も、そこそこに昼めしをたべてすぐに学校に行った。「さて何だろう」ふと心の中で思ったがそれはまだ校堂の中には誰もいなかったからであろう。時間が過ぎるに従って一人二人また一人とだんだん人間が増してきた。

学校には民謡講習会があるのだが、それとは別に友達にさそわれたのが焼山登山である。是非、行きましょうということで、自分もふいうちなので最後はまよったが「山へ登りたいなぁ…‼」という気持ちに負けてとうとう行く決心をした。だが踊りは一生懸命になって習った。終わったのは、三時半で五曲習った。先生を送ってすぐに復讐をやり終わるとすぐに家へ帰り食べ物、着る物、その他必要な物を用意。決められた時間で急いで準備を終わらせた。ようやくにしてバスに跳び込む…。「さあ、焼山登山口に着いた」そこで笹倉温泉の部屋で時間まで休み、まず風呂へ入り腹のすかぬようにと言うので今日二回目の夕食を取った。「ひとまず安心」

午後八時半、十人の登山隊が自々の背にリュック、手に明かりを持ってカンテラの人は火を付けた「出発準備オッケイ」口々に言う。「さあ出発だ」隊長の元気な声で皆焼山頂上を目指し笹倉を後にと歩き出した。

寒いと思っていた夜の道もだんだん山へ登っていくにしたがって汗も出るし、足の方も痛く感じるようだ。途中小休止。中休止。大休止などと、しゃれた言葉を使っては休みを取り歩いてはまた休みというようにゆっくり歩いた。

今夜の星は、また美しく輝いている。星の名前は知らない自分でも北斗七星は手に取るように良く見えた。もう、何時間も歩いたろう。だんだん疲れも出てくるし眠くなってくるのには本当に困った。夜の道は同じ所ばかり歩いているような感じでよけい、飽きてくる。
三時半ごろであったろう、ようやく泊岩に来た。目指すは、あと頂上までで小休止を取りすぐに歩き出した。頂上は目の前に見えてくると今までの疲れも忘れてそれはもう駈足のようにあの火山灰と小石ばかりの斜面を登った。

東に空は明るくなって来てあかりもいらなくて危険な所も何のそので四時過ぎていただろう。目指す頂上へとうとう着いた。その時の自分の気持ちは言葉には表せないほどであった。四時半過ぎ、まだ自分にはまだ一度も見たことのない御来光をおがんだ。すなわち東の空に太陽が雲の間から出てきた。その時は両手を上げてバンザイと叫びたい気持であった。しばらく茫然としている内にもう家で見る太陽と同じくなってしまった。が御来光を見ただけで山へ登った価値十二分である。

其の後一時間半ばかり頂上で睡眠の時間を取ったが皆よく眠った。中には鼻いびきで眠った人もいたようだが、これもまた記録破りであろう。寒い風が吹いていたが風の無いところで眠っていたので太陽のカンカン照り付ける暑さで目を覚ました。
それからは、あの馬の背のような頂上であの雄大な山々を先生より一つ一つ名前を聞いた。また、日本海に面している名立谷、能生谷、西海谷、姫川の谷そして早川谷が手に取るように良く見えた。いや、自分の家も見えたような気もする。頂上で記念撮影をして下山することにした。

「頂上よ、おさらば」で泊岩へ下りて九時半出発したが暑さと大変な疲れでもう話をする元気もなくなった。同じような道を何時間も歩いてグロッキーの自分にふと先生が「島田君今何を考えていますか?」と聞かれて自分は「考える気欲なんか全々無い。ただ、水がもみたい」とそれだけしか言えなかった。谷々は全々水が出ていなく空沢へきてようやく水にあたりついた。その時飲んだ水の味は何とも言えないくらいだった。ようやく笹倉温泉まで汗びっしょりになってたどり着いた。その時はもう疲れが何倍にも積み重なったようになった。まず風呂へ入って汗を取り部屋で横になると静かな眠りに入っていた。