昭和33年12月25日発行「北部青年団会報」第三巻第三号より

あわて作文

作文はだいっきらい。

と決めつけ、ペンもとろうとしなかったが、いざ文集発行がせまると何かしら書かなければと云う気が先に立つ。

〝どうしよう〟〝何を書こうか〟ペンをくわえたり、頭をひねる。出てこない。泉のごとく、こんこんと湧き出ずる頭が欲しくなった。「書こう」「書こう」何でもよいから。

でも考えさせられる。書くと云うことは何かしら自分の思っていることや、体験したことを多くの人に知ってもらったり、主張するためのものではないのかしら(日記等は別として)、だから多くの人がそれを読んで何が書いてあるのかさっぱりわからないという事では無意味なものになってしまう様に思われる。

何時も文を綴る時にはこの様な事が私の頭の片隅に居すわりしていてペンを自由に運ばせてくれないのかもしれない?然し書き出すとあの事も書きたい、この思い出も書きとめたいと欲望が出てだんだん長くなりがちになり何が何だかさっぱりわからなくなると云うのが私の文である。

これは先にテーマをはっきりと決めて書き出すと良いのだそうですが、書くことになれていない私にとっては、今度はそのことに気を取られてペンが進まなくなり書きたいことまで書けなくなってしまうと云うのが私の現状です。

〝どうしよう〟時間が刻々と過ぎ出勤時間がせまる。夜の内に何か良き題材を選んで書いておけばよかった。眠さのあまり、一寸休んでからと思ったのがいけなかった。目が覚めた時には六時近かった〝しまった作文〟と思った時には、あとの後悔先に立たず…。