上早川の歴史と伝説 その83

これまで、縄文時代晩期(約2,500年前)の集落跡である細池遺跡の住居跡や土器・石器を紹介してきました。今回と次回は、この遺跡の特徴である玉作りを紹介します。玉とは身を飾る石製の装身具のことで、細池遺跡はこの玉を盛んに作っていました。

細池遺跡出土の玉作用砥石(長者ケ原考古館所蔵)
1:筋砥石
2:内磨砥石

発掘調査の出土遺物には多くの玉の未製品が含まれます。石材は翡翠、軟玉(ネフライト)、滑石、蛇紋岩、石英など様々で、丸玉、管玉、勾玉などの未製品を数多く観察でき、加工に必要な道具類も確認できることから、この集落内で様々な玉類を盛んに作っていたことは確かです。

早川谷ではこれらの石材は産出しないことから、姫川流域から調達していたようです。翡翠、蛇紋岩、軟玉、石英などは浦本海岸から宮崎海岸に漂着していることから、これらの海岸で採取したのかもしれません。非常に軟らかい滑石は海岸まで流れ出ないので姫川流域の小滝付近まで採りに行っていたのでしょう。調達した原石は翡翠のハンマーで打ち欠いて割り、砥石で削って形を整えます。さらに、C字状の勾玉を作る場合は、砥石で抉りを入れなければなりません。

出土品にはこうした玉の形を整える砥石を数多く確認できます。写真1は玉の形を作り出した痕跡が筋状に残った砥石で、筋砥石などと呼ばれています。写真2は勾玉に抉りを入れるための砥石とされ、内磨砥石などと呼ばれています。いずれも姫川流域の西側に広がる手取層や来馬層といった中生代の地層に産する砂岩を用いています。これらの砂岩は早川流域の砂岩に比べると石英砂を多く含み、硬い翡翠でも削ることができたようです。

細池集落の人々は玉を作るためにその原石はもちろんその加工具を得るために姫川流域まで出かけて調達していたようです。玉の原石はもちろん道具となる石の性質を理解し、巧みな加工技術を駆使して玉を作っていたのです。石の硬さや割れ方を熟知した縄文人の鑑識眼には驚かされます。(木島)