上早川の歴史と伝説 その82

縄文時代晩期(約2,500年前)の集落跡である日光寺の細池遺跡では、これまで紹介したような住居跡や縄文土器などが確認されています。そこで、今回はこの遺跡から出土した石の道具、石器(せっき)を紹介します。

縄文時代の人々は、まだ鉄や青銅などの金属を知らず、石を巧みに加工して様々な道具を作り、使っていました。もちろん細池遺跡でも図のような石器が数多く出土しています。

石鏃(図‐1・2 せきぞく)はいわゆる矢じり、狩猟に使う飛び道具で、信州産の黒曜石などで作られたものもあります。打製石斧(図‐3 だせいせきふ)はこれに柄に取り付けて土を掘り起こす鍬(くわ)や鋤(すき)として使ったものです。磨製石斧(図‐4 ませいせきふ)は柄に取り付けて木の伐採・加工に用いる斧(おの)で、割れ難い石材を用いて作られています。細池遺跡ではこの磨製石斧の未製品が大量に出土し、ハンマーとして用いられた翡翠の敲石(たたきいし)や砂岩の砥石(といし)なども確認できることから、これを盛んに作っていたようです。この他、網の錘などに使われた石錘(図‐5 せきすい)、木の実などを磨り潰した磨石(すりいし)や石皿(いしざら)など様々な道具類が出土しています。

さらに、男性のシンボルを模した石棒(図‐6 せきぼう)、男女の性器を模した石冠(図‐7 せっかん)、北陸や飛騨に出土例の多い御物石器(ぎょぶつせっき)なども出土しています。これらは日常的に使用する道具ではなく、儀式や祭事に用いられたようで、寒冷化が進んだ縄文時代晩期になるとこうした祭祀具の出土が顕著になります。3,000年前頃の焼山の大噴火によって早川谷は荒涼とした自然環境であったに違いありません。細池集落の人々は厳しい環境を生き抜くためこうした祭祀具を用いた儀式や祭事を頻繁に行っていたようです。(木島)