上早川の歴史と伝説 その81

前回紹介した細池遺跡(日光寺)の住居跡やその周辺からは、この集落を営んでいた約2,500年前の人々が使用した縄文土器や石器が大量に出土しています。今回は出土した特徴的な土器を紹介します。

長者ヶ原遺跡の火焔型土器

縄文土器とはヒモ状の粘土を積み上げて形を作り、野焼きで焼いた縄文時代(約13,000~2,500年前)に用いられた土器で、年代によって形、描かれた文様などは様々です。煮炊きに用いる深鉢、食べ物を盛る浅鉢、水分などを貯蔵する壺などがあり、一般的に縄文時代晩期の土器はそれまでの土器に比べると余計な飾りは無くなり機能的になる傾向があります。写真のように縄文時代中期(約5,000~3,500年前)の火焔型土器は立体的な文様が特徴的です。一方、細池遺跡の土器の文様は平面的でその表面は洗練されたデザインで飾られるようになりました。さらに、土器の表面に彩色を施す例も増え、細池遺跡では写真のような赤の彩色がきれいに残った土器片が数多く出土しています。この赤彩は漆にベンガラ(酸化鉄)を混ぜたもので、中には漆に朱(水銀)などを混ぜものなどもあります。他の遺跡では髪を飾る櫛、リング状の耳飾りといった装身具はもちろん、木製の鉢や籠などに赤漆を塗り、墨を混ぜた黒漆で幾何学的な文様を描いた例などもあります。

約4,500年前、縄文時代中期は火焔型土器に代表される見事な造形美、約2,500年前の縄文時代晩期は洗練されたデザインと色彩美をうかがうことができます。縄文の人々のこうした土器をどのような思いで作り、使ったのでしょうか。縄文の人々の高い芸術性に驚かされます。(木島)