上早川の歴史と伝説 (その三十八)

山の恵み~奴奈川硯~

昭和四十年代に二・三年だけ製作・販売された「奴奈川硯(ぬなかわ すずり)」をご存じでしょうか。一の宮の中川恒三氏らが手掛けたこの硯には火打山川支流・空沢(からさわ)川産出の泥岩が用いられていました。

この泥岩は糸魚川・静岡構造線から柏崎・銚子線の間が大きな溝のような海であった千二百~千五百万年前に海底に堆積した泥がその後の隆起で石化したもので、写真のように魚(スズキ・ニシンなど)の化石が伴います。国内外の硯の多くが数億年前に堆積した泥岩であるのに比べると、非常に若く軟らかい泥岩とのことです。

手紙などを毛筆で書くこともなくなった私たちの日常で、硯で墨を磨る必要もなくなりました。硯を使うのは書家、書道の先生や生徒などに限られることでしょう。まして硯の値段などは想像もつきませんが、上物は数百万円もの高値とのこと、中国産の銘品は数千万円で取引されるものも少なくないようです。

【魚の化石を伴う奴奈川硯】

さて、この奴奈川硯の原材料となった泥岩はどのように発見されたのでしょうか。確かに中川氏は地質学や考古学の知識を有していましたが、火打山川の支流で硯に適する泥岩を発見したとは思えず、上早川の誰かがそうした泥岩の存在を中川氏に伝えたことでしょう。この奴奈川硯が上物であったかどうかは定かではありませんが、出回った数は少ないようです。この硯をお持ちの方は、包みを解いて上早川の大地の恵みであることを想いながら改めて観察してみてください。 (木島)

ほこ通20191110(第90号)より