上早川の歴史と伝説 (その三十七)

山の恵み~宮平の湯~

前回は、山の恵みとして温泉を紹介しました。もちろん、上早川の温泉といえば笹倉温泉ですが、かつては湯川内と宮平にも温泉があったようです。今回は、そのひとつ「宮平の湯」に纏わる伝承を紹介します。

『西頚城の伝説』(昭和十一年・編纂 西頚城教育会)には「宮平の湯」として次のような伝承が紹介されています。「上早川字宮平の「湯の平」は、昔は繁昌した温泉場であった。或る時、かつたい(ハンセン病)の山伏が、ここに来て、一夜の宿を乞うた。けれども宿主は頑固に断った。山伏は「死んでも冷たくしてくれる」といって去った。宿主は後を追いかけて、内宮のはば下で、一撃のもとに山伏を殺してしまった。それ以来、この温泉は冷泉にかはってしまったといふ。その後内宮のはば下には山伏塚が建てられたが、山崩で今はない。」

能生谷の最深部、鉾ケ岳の麓には島道鉱泉もあることから宮平に温泉・鉱泉が湧いても不思議ではありませんが、実在した温泉・鉱泉なのでしょうか。この「湯の平」をご存じの方がおられたら、ぜひご教示願います。

【宮平集落 「湯の平」は実在したのでしょうか?】

このような伝承は大和川にもあり、「湯の谷」の温泉が冷泉になったのは村人が温泉の近くに死んだ馬を埋めたためだと伝わり、他にも各地で類似の伝承を確認できます。恐らく、地下深くの変動が地下水に影響を及ぼしたのでしょうが、その原因が解らないことから、祟りによるものと解したことでしょう。そして、悪事をすると、大切なものを失ってしまうことを戒めたようです。 (木島)

ほこ通20191010(第88号)より