[ほこんたけ通信 №119]

令和3年2月25日号(第119号)を発行しました。
ほこんたけ通信はこちらから✋

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タイトル写真は
車庫…?
見たような景色
見たことあるような形状…??
ぽかぽか陽気で
フキノトウみたいに
出現してきたのかな(*’▽’)
元写真は👇

どこでしょうか?
わかる人‼
それにしても
溶けたり積もったり
暖かくなったり
寒くなったり
なんだかよくわかんない。
風邪ひかないよう気を付けましょう。

さて、119号内容は
「振興会だより」は予算総会の結果
「下早川小学校は」早川スキー大会
地域づくりプランの「道ひとすじ」は連絡会議
集落支援員からは「コロナワクチン接種」について
公民館から「英会話教室」受講生の募集
などです。

令和3年2月25日号(第119号)を発行しました。
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第1号から興味ある方はこちらから✋!

みなさん!ご意見、ご要望、ご提案を是非お聞かせくださいね~(^^)
~上早川地区 地域づくりプラン実行委員会 情報発信班~
連絡先
上早川地区公民館内025-559-2002
kamiko@bz04.plala.or.jp


上早川の歴史と伝説(その47)

~早川右岸を潤す東側用水 その2~

前号では中林の法円寺境内にある「東側用水之碑」背面の碑文を参考に、東側用水の竣工までを紹介しました。そこで、ここではその工事の測量技術や用水開削による効果などを紹介しておきます。

総延長約24㎞にも及ぶ急峻な鉾ケ岳山麓を微妙な勾配での水路開削は、どのように行われたのでしょうか。測量については、いわゆる提灯測量あるいは提灯線香測量などと呼ばれる測量技術が用いられたとされ、平成25年に有志によって復原されました。イラストのように、水を張ったタライに木製の見通し具を浮かべ、遠くに見える提灯の灯を覗いて勾配を指示したようです。また、以前に紹介した明治10年代の三大疎水工事などでは欧州から輸入した水準器を日本人が使いこなしていました。その背景には江戸時代後期の伊能忠敬らによる精密な列島地図でも解るように和算を駆使した日本の測量技術の高さがあります。そして、列島を網羅する鉄道敷設はそのレベルを格段に高めたことから、明治20年代の土木工事にこうした新しい測量技術が利用されていたとしてもおかしくありません。

いずれにしても用水開削によって、それまでの古田約100haに加え、開削直後には70ha、明治45年までには約85haの新たな開田があったようで、用水開削は大きな効果をもたらしました。江戸後期の宝暦頃の日本の人口は約3,100万人、それが明治5年には5,100万人と増え、明治20年頃までは毎年20~30万人、明治20~30年頃は毎年50万人もの人口増でした。主食である米の増産は国の喫緊の課題であったと想定でき、米の需要に呼応したこの東側用水も大きな効果があったことは確かなようです。

しかし、第三紀層の急峻地であることから、地滑りや雪崩などが随所で発生したものと容易に想定でき、その維持管理もたいへんであったようです。遂に昭和17年には取水口から寒谷の大知川までの間を隧道にする工事が始まり、戦中・戦後と断続され昭和25年には竣工、延長16㎞の開渠が6㎞のトンネル直線水路に短縮されました。その後も様々な災害に見舞われ大改修が続いたことから、遂には下流の奈良瀧用水の取水口を改修、拡大して東側用水に合流させて現在に至っています。(木島)

ほこんたけ通信20201010(第111号)より

[ほこんたけ通信 №118]

令和3年2月10日号(第118号)を発行しました。
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タイトル写真は、
焼山
どこからの撮影でしょうか?
多分…
東海(ひがしうみ)の
まっすぐな農道かな?
元写真は👇

天気がいいと
写真写りがよいし
気持ちもいいですね(*’▽’)
あまり降り続くと
気持ちがどんより
寒くて
猫背になっちゃう((+_+))

さて、118号内容は
集落の総代さんの紹介
「上早川の歴史と伝説」は~大山用水~
「がいになろう!」 のレシピは、
鳥ハムと大根もち
などです。

令和3年2月10日号(第118号)を発行しました。
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上早川の歴史と伝説(その46)

~早川右岸を潤す東側用水 その1~

以前、紹介したように加賀・富山藩と高田藩の間に位置する西浜(現在の糸魚川市・上越市名立区)は糸魚川藩・高田藩・幕府・伊勢神宮等の領地が混在していました。さらに、早川谷はこれに田沼藩領が加わり、複雑な支配が続いていたのです。もちろん糸魚川藩の領地は多いのですが石高1万石と弱小で殿様も江戸詰めで現地は代官の支配でした。このように川の両岸や隣村の支配が異なることから、江戸時代前期に高田藩が行った上江用水(正保年間1645年前後)や中江用水(延宝年間1675年前後)といった大規模な農地整備はできませんでした。もちろん、糸魚川の急峻な地形も大きな阻害要因でした。

これが明治になると新政府によって国の近代化と富国強兵が図られ、人口増加と食料増産は必須の策となりました。このため、国のあちこちで大規模な農地整備が進められ、日本三大疎水とされ、広大な農地を潤した琵琶湖疎水(明治18年着手)、安積疎水(明治12年着手)、那須疎水(明治18年着手)はその好例と言えるでしょう。早川谷でも新たな水田開発とより安定した水の確保のための東側用水、笹倉用水(西側用水)などの山腹用水の難工事が突貫されたのです。

東側用水は火打山川を水源として早川右岸の山腹を縫うように通して麓の水田を潤す現役の用水で、現在は要害を末端としていますが、一時は東海まで通水していました。その経緯や用水の概要は中林の法円寺境内に建つ明治43(1910)年9月建立の「東側用水之碑」に詳しく刻まれています。これによると、旱魃の度に苦しむ現状を憂い、明治12(1879)年に大平、吹原、猿倉の面々が発案して工事を始めましたが、あまりの難工事で実現できなかったようです。その後、早川谷の肝煎である斎藤家や伴家はもちろん、坪野、中林、宮平、越も新たな発起人となって事業が具体的に進んだとされ、次のような面々の名が刻まれています。

【発案者】渡辺重次郎、近藤源造、小竹清造、恩田作太郎

【発起人】大島二ノ吉、山本惣五郎、五十嵐七蔵、大島伊平治、渡邊善次郎、石塚五四郎、高瀬興次郎、高瀬定吉、渡辺井平、竹島長八、渡邊仁太郎、近喰仁太郎、近藤斉三郎、恩田栄蔵、恩田松太郎、恩田彌与造

明治23(1890)年に延長約24㎞の開削工事に着手、明治25(1892)年10月に富山県笹川の長井助八の監督によって、総額3,600円で竣工したそうです。ちなみに明治は貨幣価値が大きく変動した時代で当時の1円は現在の3,800~20,000円に相当するようです。この工事費をみても、いかに大工事であったかを物語っています。その後、明治32(1899)年には中野、土塩、岩本、要害、東海もこれに加わり、明治38(1905)年には東海まで延長し、早川東側(右岸)一円の水田を潤すこととなったのです。(木島)

ほこんたけ通信20200910(第109号)より

ほこんたけ通信 [hokontake No.117]

令和3年1月25日号(第117号)を発行しました。
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タイトル写真は
鉾ケ岳
どこからの撮影でしょうか?
越橋から?
山の形は越橋からだけど…
建物がいっぱい見える…
違うのかな~??
ちょと探してみましょ~
元写真は👇

冬で草木がないから
よく見えるのかな?

さて、117号の内容は
プラン活動班の「道ひとすじ」は
委員長新年あいさつとお知らせ
下早川小学校、東中学校のこと
上早川4集落の「賽の神」
公民館からのご案内
などです。

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上早川の歴史と伝説 (その45)

~水資源との闘い~

上早川を取り囲む焼山・火打山・鉾ケ岳・烏帽子岳・昼闇山といった高い山々は、日本海の水蒸気をたっぷり含んだ雪・雨雲の衝立となり、上早川に大量の雪と雨をもたらします。このため、この地域は豊富な水資源に恵まれています。もちろん、豊かな水源は焼山川、火打川、前川、西尾野川、大滝川や谷水が合流して滝のような早川となって日本海に注ぎ、時として洪水をもたらし甚大な被害を流域にもたらします。一方、早川の先人たちはこの豊かな水を利用して大地を潤し、豊かな実りの大地を育んできました。

稲作に必須な水を供給する用水の建設などは、水資源の典型的な利用と言えます。もちろん、急峻な地滑り地形や不毛の火砕流台地は、水資源の効果的な利用を阻んでいたことは間違いなく、用水などの建設・維持は相当の苦労であったものと想定できます。米本位の経済が発展した江戸時代になると各藩は水田開発に力を注ぎ、米の収穫倍増を図りました。各地の「〇〇新田」なる地名はまさにこの頃に開発された水田と集落で「中川原新田」はその典型と言えます。牧場(まきば)であった中川原台地での水田開発は「その10」で紹介したとおり様々な資本投入の紆余曲折があったようですが、用水の建設が大きなポイントとなり、天和3(1683)年の検知では81石強の記載を確認できます。

この他、早川流域には豊富な水資源を地域開発に活かそうとして多難な土木工事を成し遂げた痕跡を随所で確認できます。右岸の急傾斜地を潤す「東側用水」、左岸の水田を潤す「西側用水」、西山の水田を潤し防火用水でもあった「大山用水」といった山腹用水などは、まさに当地の先人たちの残した土木遺産とも言えるでしょう。こうした困難な土木工事は明治政府による新たな国づくりの基盤となる食糧増産政策にも後押しされたものとも言えますが、早川の水田開発にかける先人たちの執念とその苦難を物語っています。そこで、こうした用水建設に纏わる先人たちの足跡を次号から数回に渡って紹介します。(木島)

ほこんたけ通信20200807(第107号)より

ほこんたけ通信 [hokontake No.115]

令和2年12月10日号(第115号)を発行しました。

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タイトル写真は
鉾ケ岳をバックにした
旧上早川小学校敷地内にある
イチョウの木
というよりは
元上早川中学校敷地内
にある
イチョウの木
というイメージなんですが
元写真は👇

イチョウの木の右側にあるのは
中学校があった時は
中学生の自転車置き場
だったんですよ。
中学校が無くなってからは
小学生が利用して
生き物を飼っていましたね。

さて、115号内容は
「上早川の歴史と伝説」は~中川原用水~
「懐かしき想いで」は上角間
「がいになろう!」 のレシピは、
厚揚げの炒め煮とレーズンケーキ
いなほ俳句会11月の句
などです

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上早川の歴史と伝説 (その44)

~度重なる洪水と早川の河川改修~

平成7(1995)年7月11日、梅雨前線の停滞による大雨は各地に甚大な被害をもたらしました。特に、姫川上流の新潟・富山・長野県の県境付近では11日、12日の雨量が400㎜を超え、国道148号線はもちろん大糸線も濁流に呑まれ、小滝地区は孤立、その復旧には長い時間を要しました。梅雨終盤の7月から台風がおさまる10月までは洪水や土砂崩れに警戒しなければならない季節です。

土塩で40分の1、梶屋敷で80分の1の勾配を測る早川も姫川に負けない急流河川で、これまでも洪水を繰り返してきました。以前に紹介した延享4(1747)年「卯年の満水」はもちろん、1952年刊の『上早川村勢要覧』には明和3(1766)年、天明3(1783)年、天明5(1785)年、寛政元(1789)年、寛政2(1790)年、天保4(1833)年、天保7(1836)年、明治元(1868)年、明治29(1896)年、明治30(1897)年は特に酷かったと記載されています。もちろん昭和になっても洪水の被害は続き、昭和40(1965)年9月17・18日に通過した台風24号は砂場に322㎜の雨量をもたらし、上早川86棟、下早川157棟の建物が被災したと記録されています(『糸魚川市史昭和編2』)。

改修後60年を過ぎた早川護岸

早川はこうした洪水はもちろん、これに連動した地滑りや焼山噴火による泥流も伴う厄介な河川で、昭和24(1949)年や昭和49(1974)年の泥流災害は記憶に新しいところでしょう。こうした災害もあり、早川の河川改修は早川流域住民の悲願でもありました。先の泥流災害を契機に昭和24(1949)年に「焼山対策協議会(委員長:渡辺喜與松 上早川村長)」が組織され、その後「早川期成同盟会(会長:斎藤精二)」結成に発展、河川全体の整備計画の必要性が唱えられました。昭和29(1954)年4月には河川改修工事も認可され、昭和35(1960)年3月末に総延長13,000m、延べ工事作業員65万人に及ぶ河川改修工事は完了したのです。早川の氾濫を治めるともに流域住民にも大きな経済効果をもたらしたようです。

いずれにしても、最近は異常気象の影響もあるのでしょうか、雨の降り方は尋常ではありません。雨の季節に対応した備えを心がけましょう。歴史は繰り返します。 (木島)

ほこんたけ通信20200710(第105号)より

ほこんたけ通信 [hokontake No.114]

令和2年11月25日号(第114号)を発行しました。

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タイトル写真は
雪吊り?
元写真は👇

冬囲い
雪囲い
で呼び方いいですかね( ゚Д゚)

さて、114号の内容は
「振興会だより」は文化祭のこと
まめっこのみそづくり
東中学校は合唱祭
プラン活動班の「道ひとすじ」は連絡会議
小泊地区と交流会
などです。

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ほこんたけ通信 [hokontake No.113]

令和2年11月10日号(第113号)を発行しました。

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タイトル写真は
菊、ざる菊?
多分…(;^ω^)
元写真は、

コキアも
ずらり~
なんか、すごい!
さて、113号内容は
「上早川の歴史と伝説」は~奈良龍用水~
「懐かしき想いで」は不動山城
「がいになろう!」 のレシピは、
りんごホットケーキとレタスとベーコンのスープ
不動山農村公園の植樹
などです

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