上早川の歴史と伝説 (その四十)

~小正月行事「賽の神」~

元日を大正月、正月が終わるとされる一月十四日から十六日の三日間を小正月と呼び、この小正月には「左義長」、「綱引き」、「粥占い」などが各地で行われています。かつて上早川の各集落で行われていた「賽の神」と称する火祭りもこれに該当し、湯川内、越、砂場、北山で継続しています。

越の賽の神(点火前)

この「賽の神」は「どんど焼」や「お松さん」などとも呼ばれ、無病息災、五穀豊穣などを祈願して各地で行われている「左義長(さぎちょう)」のことで、各戸の正月飾りや旧年のお札などを集めて竹や藁と一緒に焚き上げる火祭りです。本来、そうした品々を集めるのは子供たちの役目でした。正月に迎えた歳神、田の神、祖霊神を送るため、神棚で清めた木偶(白木のハンノキなどに男神と女神の顔を墨書したもの)を子供たちが携えて各戸を勧進して回り、回収した品々を藁・茅や竹と木偶とを一緒に炊き上げたようです。隣村からの病気、害虫・鳥などを追い払うため「~飛んでけ、飛んでけ、佐渡へ飛んでけ~」などといった「鳥追い歌」を歌いながらの勧進もあったようです。能生百川の「百川の小正月行事」(市・民俗文化財)はそうした原型を残す好例で、浦本では人形の炊き上げを伴います。大規模な炊き上げと着火をめぐる攻防を伴う「湯川内の賽の神」は特異な例と言えるでしょう。

越の賽の神(点火)

こうした伝統行事も、少子化に伴い子供の役割が省略され、年々行事の構成が簡略化されているようです。伝統を重視する百川では該当する子供がいないことから休止が続いているようです。「賽の神・お松さん」と称する火祭り、竹の引き合いと左義長から成る「青海の竹のからかい」(国・民俗文化財)など市内各地で小正月行事が行われているようですが、やはり行事の担い手の確保に苦心しているようです。少子高齢化と過疎化はもちろんライフスタイルや農業、さらに休日の変化は小正月行事の伝承をも難しくしています。(木島)

ほこ通20200210(第95号)より