上早川の歴史と伝説 (その二十五)

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上早川のお宝  ~ 正慶の板碑 ~

市内上刈の個人が所有するこの板碑は、市の歴史資料に指定されています。不動山城の麓、城主三本寺氏に仕えた伴家の火葬場から出土したもので、当地には産出しない板状の緑泥片岩に文字が刻まれています。

長さ二十二センチの長い方には阿弥陀仏を表す種子とその下に蓮華座が覗え、長さ十八センチの短い方の上方には蓮華座が彫られ、その下に「正慶二年 四月 日」と刻まれます。正慶二(一三三三)年の北朝年号は、市内最古の金石文といえます。

正慶の板碑

緑泥片岩の板碑は関東や信濃などで多用されますが、越後ではたいへん珍しく、信濃や関東方面との関係を示します。なぜ伴家がこのような板碑を所有したかは不明ですが、十三・四世紀における越後、佐渡、越中、能登は鎌倉武士の北条・名越一門の領地で、北陸新幹線の建設に先立つ田伏地内の山岸遺跡の発掘調査では山の湧水を引き込んだ池とそれを囲う回廊や大規模な建物跡が検出され、名越氏の家紋なども出土しています。北陸道が海岸部を通り、海岸に迫り出した尾根からは越後はもちろん、能登、越中、佐渡さらには沖合を通る船をも一望できる当地は、北陸一円を支配する北条・名越一門にとって重要な戦略ポイントであったようです。中世における東国武士の北陸支配を物語る貴重な歴史資料ともいえるでしょう。 (木島)

20180910より

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