上早川の歴史と伝説 (その二十三)

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上早川のお宝  ~戦国の城・不動山城跡~

 早川中流域の右岸に聳える不動山の山頂付近には戦国時代の山城が築かれ、山頂の本丸跡は市の史跡に指定されています。

 この山城は、早川以西を一望できることから越後の戦国大名上杉氏(長尾氏)にとっては西方の守りの要であり、城主には上杉氏の親戚である三本寺(三宝寺)氏を配しました。さらに、城の守りも堅固で、独立峰の山頂を削平して400㎡前後の本丸を築き、その下段北東部に二の丸(850㎡)・三の丸(2000㎡)を造り出して井戸を掘り、四方に延びる尾根は堀切と削平を重ねて敵の侵入を防いでいます。山頂と要害集落の間には「犬倉」、「槍研」、「馬のり場」、「狼煙場」などといった城に関連する伝承地が残り、農村公園西側は「御殿」、「矢倉」と呼ばれていることから、城主の館があったようです。

上杉謙信の天正三年の軍役帳によると、不動山城主の軍役は槍50丁、大小刀で武装した歩兵10人、鉄砲2丁、旗3本、騎馬六騎とあります。上杉勢では中程度の戦力ですが、少なくともこれだけの勢力でこの城が守られていたことは確かです。また、郭や堀切など痕跡から土木工事には多大な人数を要したであろうことは容易に想定でき、それを賄える集落が早川に存在したことになります。

山の麓には、耕文寺(現在:西海坂井)や後に大肝煎として早川を仕切った伴家も所在したことから、この不動山城跡とその周辺の遺構は、戦国期における早川流域の様相を物語る貴重な歴史遺産といえます。(木島)

不動山城跡(山頂付近)
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